三上洋右×本間奈々対談「洋ちゃん・奈々ちゃんの新春対談」
2011年1月


本間 奈々(ほんま なな)
1969年5月4日福岡県生まれ。3-12歳まで広島県、それから東京へ。1993年3月早稲田大学法学部卒、同年4月自治省に入省。
現在、札幌市で活動中。2010年12月2日まで自治大学校研究部長を勤める。これまでに山梨県、自治省、総理府、地方公務員災害補償基金、厚生労働省建設・港湾対策推進室室長補佐、札幌市企画課長、春日井市副市長の勤務経験あり。
新しい札幌を創る会 本間奈々の活動報告 ブログ
政権交代で意識が変わった
—新春対談ですので、今日は「洋ちゃん」「奈々ちゃん」とくだけた感じでいきますね。(笑)では、早速ですが札幌市長選と市議選への取り組みについて伺います。
洋右・奈々:よろしくお願いします。
—最初は、洋ちゃんにお聞きします。昨年十二月に自民党札幌市支部連合会(札連)の会長に就任されました。どうして突然、洋ちゃんが会長になられたのか。まずそこから伺います。
洋右:一番は、政権が代わったことです。国会議員も市議も札連に対する意識が変わったのです。私は自民党の札幌の顔でもある札連会長は、ネームバリューのある国会議員が望ましいと思っていました。ところが、政権交代で野党になり、自分たちが主体的に札連を運営するべきだと意識が変わりました。そこで市議の大越議員が札連会長になり、今度の統一地方選を闘うことになっていました。ところが大越会長が健康を害して、急きょ、副会長の私がその任につくことになりました。
—白羽の矢が立ったのは、それだけ洋ちゃんの信頼と人望が厚いためだと思います。新会長の抱負をお聞かせください。
洋右:札連の大命題は市長奪還と市議会第一党になることです。責任の重大さに身震いする毎日です。しかし、お受けした以上は、関係者の皆さんと一丸となって宿願を果たしたいと思っています。
奈々ちゃんにはオーラがある
—お待たせしました。次は奈々ちゃんに伺います。札幌市長選に立候補することになったのは、どんな理由からですか。
奈々:昨年の四月ですが、当時、私は愛知県春日井市の副市長をしていました。そこへ突然、三上先生が札連幹事長の高橋市議と札幌市議会自民党議員会幹事長の五十嵐市議の三人で、私を訪ねていらっしゃいました。副市長室でお会いした時は儀礼的な会話だけでしたが、夕刻に会食した時に「市長選と札幌市の現状をどう思うか」と聞かれて、本当に驚きました。
—候補者の選考基準はあったのですか。
洋右:はい、第一には、札幌市長としての力量を備えていることです。次に重視したのは札幌市と何らかのかかわりがある人で、市長選に意欲のある人。年齢は五十代前半。上田市長に対抗するには、できれば女性が良いと決めていました。
上田市長とは何度か懇談して、私たちとは思想的にも政策的にも相容れないものがあり、違いが明白になっていました。札連と自民党議員会は市長候補の擁立を正式に決めていました。
—春日井市に出かけたのは、奈々ちゃんが適任かどうかの人物定めだったのですね。
洋右:一度お会いして確かめたかったのです。すべての条件に合致しており、あとは人柄とか、意欲の問題だけでした。最初から市長候補としてお会いしました。
—洋ちゃんから見た奈々ちゃんはどうでしたか。
洋右:最初は札幌の印象や、札幌市で勤務していた時の思いで話に花が咲きましたが、だんだんと市政全般に及んでいきました。話をしていて「この人だ」と直感しました。人柄とか明るさに天性のものを感じました。奈々ちゃんにはオーラがあるのです。
札幌の役に立ちたいと思い続けた
—奈々ちゃんはいつ立起を決断されたのですか。
奈々:六月に高橋幹事長が再び訪ねてきました。七月に札幌でも市議の方とか、町村信孝先生とも別の場所でお会いしました。
—その時、事実上決断されたのですね。
奈々:今考えれば、そういうことになります。
洋右:十一月十八日に私と高橋幹事長、鈴木議員会会長と三人で上京し、最後の確認を行いました。
—決意された理由は何ですか。
奈々: 二年七カ月、札幌で暮らすうちに札幌の魅力にはまり、「いつか札幌の役に立ちたい」と思い続けていました。その札幌が昨今は経済不況にあえぎ、上田市政になってから市民生活がますます疲弊する姿をみて、何とかしなければならないと思いました。
これまで地方行政の最前線で働いていた経験を生かし、何とか札幌を活力ある街に復活させたい。日本をリードする都市にさせたい。そのために札幌市長選に出たいと思いました。
洋右:私たちは相思相愛の仲だったんです。
—熱い想いが伝わってきます。
経済が死んでは何の意味もない
—上田市政についてはどんな感想を持っていますか。
奈々:上田市政の八年間は、あまりにも急激に財政再建中心の市政運営を行ったと思います。財政再建を急ぐあまりに、景気対策としては失敗したのではないでしょうか。全国の都市の経済指標を見比べると、札幌は非常に悪くなっています。けん引役であるべき札幌が、北海道全体の足を引っ張っているという状況です。経済が死んでしまったら、いくら財政再建をしても何の意味があるのかと考えています。余力のあるうちに何とかしないと。
洋右:市議会で私たちも厳しく指摘していますが、一向に札幌経済は上向きにならない。ここは奈々ちゃんの出番ではないかと期待しています。
攻めの政策にかじを切り替えたい
—札幌市の経済を立て直すためにはどのような処方箋があると考えていますか。
奈々:現状打破を訴えていきます。これまでの財政再建一辺倒の政策から、攻めの政策にかじを切り替えていきたい。無理な財政再建をするのでなく、できるだけ財源をねん出して投資に回していきたいと思っています。あらゆる政策を総動員して山積する課題に対処し、新しい札幌を創りたいと考えています。
札幌は日本の中でも非常に出生率が低く、少子化も高齢化も進んでいます。課題が山積しており、このままでいいのかというのが私の率直な気持ちです。
3つの重点政策を考えています
—札幌市の経済を立て直すためにはどのような処方箋があると考えていますか。
奈々:閉塞する札幌経済を打破するために、大きく三つの重点政策を考えています。
一つは「経済の復活と働く場の確保」です。特に若い人に何とか就職の場を与えたいと考えています。そうした中で新しい成長産業づくりのために積極的に開発投資を行い、若者が札幌で働き生活できる場を確保したい。
二つ目は「子育て・教育の充実」です。子育て・教育は単なる少子対策ではありません。将来の札幌を担う子どもたちへの大切な投資です。子育てが楽しい街、楽しく学べる街を目指したい。
三つ目は「加速化する長寿社会への対応」です。札幌は二十年後に高齢化率三十%を迎えます。迫りくる超高齢化社会に向け、多様な生活者ニーズに対応できる基盤整備、仕組みづくりを進め、暮らしやすい街に変えていきたい。
今後、介護、医療の分野は、高齢者率がますます高くなり、もっと人手がいるはずです。この分野の仕事は製造業と違い、企業が海外に逃げません。必ず地元に雇用を生み出します。産業構造の厚みをつくることが大事です。老いも若きも互いに支え合い、ともに生きる街のあり方を考えていきます。
昨年十二月に高橋はるみ知事とお会いして激励されました。しっかり連携して、札幌市と北海道を活性化させたいと思います。
洋右:私たちも奈々ちゃんの考えに共感しています。働く場を確保し、新産業を創出して、札幌の街を活性化させなければと思っています。
札幌には日本を変える力がある
—最後になりますが、洋ちゃんと奈々ちゃんから札幌市民にメッセージがあればお聞かせ下さい。
洋右:奈々ちゃんは明るく、気さくで、強い信念があります。札幌市に対する深い愛情を持っており、市民と夢を共有できる人です。市長奪還、市議会第1党の目標を達成して、一緒に札幌の街を築いていきたい。自民党札連は全面的に支援します。
奈々:札幌では「二度泣き」という言葉をよく聞きます。赴任するときに遠い北海道には行きたくないと泣き、札幌に住むと今度は住み心地が良くなり、離任するときに離れたくないと泣くそうですね。私も2人の子どもたちもそうでした。 私の大好きな街である札幌には、明治以来、日本のフロンティアとして切り開いてきたという歴史があり、自由と進取の気風で作られてきました。地方を、日本を変えていく力があると信じています。新しい札幌を創るために全力を振り絞りますので、ぜひ皆さまのお力を貸して頂きたい。
—今日はおふたりの熱い思いをお聞かせ頂き、ありがとうございました。
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